ネブリハ:スペイン・ルネサンスの文法学者

 アントニオ・デ・ネブリーハはスペインの文法学者(1441ー1522)。スペイン・ルネサンスの主要人物の一人として知られる。1492年に、近代の俗語にかんして最初の文典である『スペイン語文法』を著した。
 1492年はコロンブスの新世界「発見」の年であり、スペインのアメリカ征服の始まりであった。これからみていくように、ネブリハはスペイン語の辞書とスペイン帝国の関係についての有名な考えを提示した。さらに、ラテン語についてもスペイン帝国に貢献した。

 アントニオ・デ・ネブリーハはスペインの文法学者(1441ー1522)。スペイン・ルネサンスの主要人物の一人として知られる。1492年に、近代の俗語にかんして最初の文典である『スペイン語文法』を著した。
 1492年はコロンブスの新世界「発見」の年であり、スペインのアメリカ征服の始まりであった。これからみていくように、ネブリハはスペイン語の辞書とスペイン帝国の関係についての有名な考えを提示した。さらに、ラテン語についてもスペイン帝国に貢献した。

ネブリハ (Antonio de Nebrija)の生涯

 ネブリハはスペインのレブリハで生まれた。当地の学校で学び、サラマンカ大学で学んだ。その後、イタリアに移り、ボローニャ大学で人文学を学んだ。
 そこでは、ロレンツォ・ヴァッラの影響を受けた。ヴァッラはイタリアの主要な人文主義者の一人であり、ラテン語の改革を意欲的に行っていた。その試みがネブリハを通してスペインでも実ることになる。

 30代に入る頃、ネブリハは帰国した。ラテン語の教授に関心を抱いていた。セビーリャ大司教フォンセカの誘いでセビーリャに移った。そこでは、家庭教師をつとめながら、ラテン語教授のために勉学を続けた。

 文法学者としての活躍

 1475年頃、ネブリハはサラマンカ大学の講師となった。詩や弁論術などを担当した。1476年には、文法学の教授となった。

『ラテン語入門』

 この授業のために、1481年、ネブリハは『ラテン語入門』を公刊した。初版の千部がすぐに完売した。本書はのちに改訂版を出した。

 1485年頃、スペイン女王イサベル1世は『ラテン語入門』がスペイン語に翻訳されるよう望んでいた。ネブリハはそのことを伝え聞いた。
 そこで、1487年、ネブリハはサラマンカ大学の職を辞した。セビーリャ大司教スニガのもとで著述活動や辞書の編纂に打ち込んだ。

初期の印刷本に

 ちなみに、本書の初版はサラマンカでポラス印刷所が印刷した。ポラスは1477年から1480年の間に印刷事業を開始したばかりだった。サラマンカで最初期に活躍した印刷業者である。
 ネブリハはアロンソ・デ・ポラスとともに、本書のラテン語の奥付を作成するなど、制作過程に深く関わっていた。
  木版画の挿絵はほとんどなかった。 イニシャルのためのスペースが残され、後に手書きで記入された。 ほとんどの版には、活字による署名やページ番号がなかった。
 このように、ネブリハの『ラテン語入門』はスペインでの文法書として重要だっただけでなく、スペインでの活版印刷の普及や発展にも寄与していた。

『カスティリャ語文法』

 1492年、ネブリハは『カスティリャ語文法』(カスティリャ語はスペイン語とほぼ同義)を完成させ、イサベル1世に献呈した。本書の序文で、ネブリハは本書が三点において役に立つという。
 第一に、スペイン全体でカスティーリャ語を統一し普及させることである。背景として、当時のイベリア半島ではカスティーリャとアラゴンという2つの国がイザベルとフェルディナントの結婚によって結合し、スペインといえる国が誕生して間もなかった。

 そのため、スペインにおいては複数の言語が存続し、カスティーリャ語にかんしても十分にまだ標準化されていなかった。そこで、『カスティリャ語文法』によってカスティーリャ語を統一し、さらにスペイン全土に普及させることができるようになる。
 第二に、母語としてのカスティーリャ語を意識的に学ぶことで、外国語の習得がより容易になることである。この考えは今日でも通用するといえる。当時のスペインは貿易などで外国との定期的な交流を行っていたので、本書はこのような場面でも役に立つ。

 『カスティリャ語文法』は帝国の道具

 第三に、本書は帝国の道具となる。もしイサベルが今後さまざまな国や民族を支配下に置いた時、彼らはいまやスペイン人なので、スペインの法律や言語を使用することになる。そこで、本書が役に立つ。
 奇しくも、本書が完成した1492年はスペインがレコンキスタを完了させた年だった。レコンキスタは8世紀に始まった運動で、イスラム教徒に支配されたイベリア半島をイスラム教徒から奪い返すという再征服運動だった。
 1492年1月、イサベルはイスラム教徒の最後の拠点のグラナダを陥落させた。よって、グラナダに住むイスラム教徒らを新たに支配下に置いた。
 さらに、その少し後、イサベルはグラナダのアルハンブラ城でコロンブスに謁見した。コロンブスがインド航海の事業を提案し、イサベルはこれを受け入れた。
 同年、コロンブスはスペインの後ろ盾で航海を行い、たまたまアメリカに到達した。新世界の「発見」である。スペインはその後、アメリカを征服し植民地を築くことになる。『カスティリャ語文法』はまさにそのような時期に、帝国の道具として誕生した。
 さらに、本書はのちのスペイン人によるスペイン語の文法書や、外国人の著者による外国人向けのスペイン語の文法書の制作において、重要な資料として活用されることになる。

 まもなく、ネブリハは『羅西辞書』と『西羅辞書』を完成させた。

 聖書の改訂

 その後、シスネロス枢機卿のもとで、ネブリハは聖書の研究を開始した。この時期、スペインではイタリアなどと同様に、従来の聖書の問題点が認識され、その改訂が目指されていた。

 同様に、ネブリハはウルガタ聖書の改訂を推進しようとした。新約聖書の既存のラテン語版をギリシア語版と比較することによって改善しようとした。さらに、旧約聖書に関しても同じ手法を推奨した。
 だが、神学者たちと対立した。最終的にネブリハの意見は採用されなかった。

 晩年の活動

 ネブリハはサラマンカ大学での教授職に戻った。医学や法学などの教授たちのラテン語の語学力を痛烈に批判し、反感を買った。1513年頃、ネブリハはサラマンカ大学の職を辞した。

 ちなみに、ラテン語の語学力を利用してウルガタ版の聖書を改訂することや、他分野の学識者のラテン語使用を痛烈に批判することは、ヴァッラがすでに行っていたことでもある。

 1514年、シスネロス枢機卿はネブリハをアルカラ大学の修辞学教授に任命した。ネブリハは著述活動に勤しんだ。1522年、同地で没した。

 ラテン語も帝国の道具

 上述のように、ネブリハは『カスティリャ語文法』について帝国の道具と語っていた。同時に、ネブリハはラテン語の整備にかんしても、スペイン・ルネサンスを牽引していた。彼のラテン語文法の著作もまた、スペイン帝国の拡張で役に立つことになる。
 ラテン語は新世界の植民地において、教会や学問の言語として普及していく。
 その背景として、16世紀以降、スペインの新世界征服はカトリックの宣教活動を伴っていた。宣教師が征服者についていくよう、法律で定められていた。あるいは、宣教師は征服者がいなくても、単独で宣教活動のために先住民と接触した。

 このような宣教活動では、先住民の言語を利用することが推奨されていく。よって、宣教師が先住民の言語を学び、話せるようになった。彼らはいわばフィールドワークによって、先住民の言語を学び、文法書をつくった。たとえば、ケチュア語やナワトル語などの辞書をつくった。

 その際に、彼らは自分たちの言語の基本的枠組みとして、ラテン語を採用した。ラテン語を軸にして、ケチュア語などを理解しようとした。宣教師にラテン語の文法的知識を提供したのが、ネブリハだった。

 よって、それらの文法書では、ネブリハは権威として捉えられていた。さらに、ネブリハの文法書や辞書は16世紀にはすでに新世界の大学で使用されていた。
 このようにして、ネブリハはラテン語にかんしてもスペイン帝国に貢献した。

 ネブリハと縁のある人物

https://rekishi-to-monogatari.net/vall

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ネブリハの肖像画

アントニオ・デ・ネブリハ 利用条件はウェブサイトで確認

ネブリーハの主な著作・作品

『ラテン語入門』(1481)
『カスティリャ語文法』 (1492)
『羅西辞書』(1492)
『西羅辞書』(1495)

おすすめ参考文献

エリオ・アントニオ・デ・ネブリハ『カスティリャ語文法』中岡省治訳,,大阪外国語大学学術出版委員会, 1996

Maux-Piovano, M.-H. 2010, Enseigner les langues modernes en Europe, XV-XVII siècles. Recherches,5

Byron Ellsworth Hamann, 2015, The Translations of Nebrija : language, culture, and circulation in the early modern world, University of Massachusetts Press

Alexander Samuel Wilkinson (ed). Illustration and Ornamentation in the Iberian Book World, 1450–1800, Brill, 2021

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